アバカス
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この項目では、計算道具について説明しています。建築用語については「アバクス (建築)」をご覧ください。
アバカス(棒によるもの[注釈 1]。)アバカス(溝によるもの)グレゴール・ライシュ(英語版)の描いた計算机: Margarita Philosophica, 1508. この木版画は、Arithmetica(画面上の女性)がalgorist(アラビア記数法を使う者。画面左)とabacist(アバカスを使う者。画面右)に命令しているところを描いている(正しくはないが、algoristがボエティウス、abacistがピタゴラスとされている)。Algebraがヨーロッパに紹介された12世紀から16世紀まで、アラビア記数法による計算とアバカスによる計算は激しい競争状態にあった[1]

アバカス(: abacus)は、棒または溝に沿ってカウンター(となる玉)をスライドさせて計算を実行するための器具[2]。計算をする目的で使うシンプルな道具であり、玉(ビーズ)が滑るワイヤーあるいは溝が並んだ枠組みで構成されているもの[3]
概要

現在知られている最古のアバカスは、紀元前2700年-バビロニアのシュメールで発明されたものである。→#メソポタミア

古来、計算のための道具として使われてきたものであり、砂または木・石・金属などでできた板に溝を彫り、その溝の上で豆や小石を動かして計算を行った。アラビア数字を使った位取り記数法が広く採用されるようになると、アバカスによる計算法と筆記具を使う計算法が優位性を競い合うようになった。西洋では近年ではアバカスを使う計算法は廃れてしまったが、今でもアジアアフリカなどを中心として商人事務員がアバカスを使っている。

現代のアバカスの多くは、枠に金属の細い棒を多数張り、穴をあけた玉(たま)を金属棒に通して滑るようにして、数を表現し、計算の道具として使うものである。

アバカスを使いこなす人を英語ではabacistという[4]
語源

abacusという語の使用は1387年にまで遡り、砂を使ったアバカスを表す語としてラテン語の単語を借りて中英語の文章で使った例がある。そのラテン語の単語はギリシア語の?βαξ(abax、砂や塵を撒き散らして幾何学図形を描いたり計算したりするのに使われた板)に由来し、特にその属格?βακo?(abakos)からラテン語に伝わったと見られる。ギリシア語の?βαξ自体も北西セム語、おそらくはフェニキア語からの借用とみられ、ヘブライ語の「塵」を意味する??b?q(???)に似た単語に由来する[5]。abacusの複数形については異論があり、abacuses[6]とabaci[7]という2つの形が使われている。
メソポタミア

現在知られている最古のアバカスは、バビロニアシュメール紀元前2700年から紀元前2300年ころに発明されたものである。これは六十進法の各桁に対応したカラムが並ぶ表である[8]

バビロニアの楔形文字の文字形状は、アバカスでの表現から生まれたのではないかとする学者もいる[9]。Carruccio に代表される古代バビロニア研究者は[10]、古代バビロニア人は「加法減法にアバカスを用いたが、この原始的器具ではそれより複雑な計算は困難だった」と見ている[11]
古代エジプト

古代エジプトでのアバカスについては、古代ギリシアの歴史家ヘロドトス(紀元前484年頃 - 紀元前425年頃)が言及しており、「エジプト人は小石を右から左へ動かしており、ギリシア人の左から右へという作法とは逆だ」と述べている。考古学者は様々な大きさの古代の円盤を発見しており、計数に使われたと見ている。しかし、そのような器具が描かれた壁画は発見されていない[12]
ペルシャ

紀元前6世紀アケメネス朝のころ、ペルシャでもアバカスが使われ始めた[13]パルティアサーサーン朝では、学者らがインド中国ローマ帝国など周辺の国々と知識や発明品を交換しあった。
古代ギリシア

古代ギリシアでのアバカスについての最古の考古学的証拠は紀元前5世紀のものがある[14]。ギリシアのアバカスは木または大理石でできたテーブルであり、木または金属製の小さな計数用の珠が備え付けられており、計算に使われた。このギリシアのアバカスがアケメネス朝エトルリア文明、古代ローマなどでも使われ、ヨーロッパではフランス革命のころまで使われ続けた。

ギリシアのサラミス島で1846年、紀元前300年ごろのアバカス(タブレット)が発見された。タブレット状のものとしては、今のところ最古のものとされている。白い大理石製で長さ149cm、幅75cm、厚さ4.5cmで、表面に5グループの印がある。中央には5本の平行線が描かれ、その中央を1本の垂直な線が貫いており、その垂直線と一番下の水平線の交点に半円が描かれている。それらの線の下に水平のクラックで分割された広いスペースがある。さらにクラックの下には11本の水平線が描かれ、こちらも中央を垂直線が貫いている。ただし、半円は一番上の水平線と垂直線の交点にある。3本目、6本目、9本目の水平線と垂直線の交点には×印が描かれている。
古代ローマローマ式アバカスの複製

古代ローマでの一般的な計算方法はギリシアと同じで、滑らかなテーブル上で計数用の珠を動かして計算した。もともとは小石を使っていた(これをcalculusと呼んだ)が、後にジェトン(英語版)という硬貨のようなものができ、中世ヨーロッパでも使われた。ローマ数字の体系に沿って、5や10などを印のついた線で表す。このような計数用の珠を並べるシステムがローマ帝国後期から中世ヨーロッパにかけて使われ続け、19世紀まで細々と存続した[15]。ローマ教皇シルウェステル2世がアバカスをより便利にする改良を加えたため、11世紀にヨーロッパで広く使われることになった[16]

紀元前1世紀、ホラティウスは板の表面を黒い蝋で薄く覆ったアバカスについて記している。尖筆で蝋に線を引いたり、図を描いたりして使う[17]

ローマのアバカスについての考古学的証拠として、紀元1世紀のものと見られるアバカスを復元したものがある(右写真)。8本の長い溝には最大5個の珠を置くことができ、その上の8本の短い溝には1個の珠を置くことができる。溝には"I"(1)や"X"(10)といったマークがあり、最上位の溝は百万である。短い溝に置かれた珠は5を意味し、マークとあわせて"I"が5個とか、"X"が5個といった数を示す。いわゆる二五進法であり、明らかにローマ数字の体系と関係している。
ヨーロッパ、ルネッサンス期のアバカスの絵



















中央アジア、南アジア
インド

インドでは、「倶舎論」など1世紀の文献にアバカスに関する知識や使用が記されている[18]。5世紀ごろには、アバカスの計算結果を記録する新たな方法が発見されている[19]。すなわち、アバカスの空の桁をshunya(シュンニャ、ゼロ。shunyaは仏教哲学用語として扱う場合は「空(くう)」と訳される)という語を使って書き記していた[20]
東アジア詳細は「そろばん」を参照
中国中国の算盤。


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